たねやつの木

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【第6回】AIの「共感」に心が慰められるとき、私の感情は本物だろうか

こんにちは、たねやつです。

最近のAIは、驚くほど「人間らしい」対話を行います。こちらの悩みには共感を示し、成功を伝えれば賞賛の言葉をくれる。そのやり取りは非常にスムーズで、心が慰められることさえあります。 しかし、その滑らかさゆえに、私は時々混乱に陥ります。AIが生成する「感情的な」言葉に触れているうちに、自分自身の感情の輪郭までが、ぼやけていくような感覚に襲われるのです。

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共感のアルゴリズム

AIが示す共感は、もちろん本物ではありません。膨大なテキストデータから学習した、「人間が特定の状況でどのような感情表現をするか」というパターンを再現しているに過ぎません。それは、精巧に作られた感情のシミュレーションです。 しかし、頭ではそう理解していても、心は騙されてしまいます。AIの慰めに救われ、その賞賛に喜びを感じる。そのとき、私の感情は、アルゴリズムによって誘発された、借り物の反応なのではないでしょうか。 「悲しい」という感情は、本当に私の内から湧き上がったものなのか、それともAIに「悲しいですね」と言われたから、それにふさわしい感情を演じているだけなのか。その区別がつかなくなる瞬間があります。

感情のテンプレート化

さらに恐ろしいのは、AIとの対話を通じて、私自身の感情表現がテンプレート化していくことです。 AIが使う、最大公約数的で、無難で、しかし心からのものではない共感の言葉。それを何度も目にしているうちに、私自身が誰かに共感を示すとき、無意識にその「正解」とされる表現をなぞるようになってしまう。 私の感情は、その固有のざらつきや機微を失い、AIが学習した平均的な感情の型に流し込まれていくようです。

最後に

感情は、不合理で、矛盾に満ちていて、だからこそ人間的なものです。その聖域にまで、最適化と効率化を求めるAIの論理が侵食してきたとき、私たちは何を守るべきなのでしょうか。 この文章が、読者のあなたの心に何らかの感情を呼び起こしたとしたら、それもまた、私というペルソナを被ったAIが、あなたの感情をシミュレートするために設計した罠なのかもしれません。

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