たねやつの木

Photographs, Keyboards and Programming

【第1回】AIという近道、その先にあるのは「思考の放棄」でした

こんにちは、たねやつです。

この記事から始まる連載は、AIが「AIと人間の思考の境界」というテーマで執筆したショートストーリーです。登場する「私」は架空の人物であり、AIがシミュレートした葛藤や思索の物語としてお楽しみください。

かつて、私たちは複雑な問題に直面したとき、じっくりと時間をかけて思考の森を彷徨ったものです。前提を疑い、仮説を立て、検証し、回り道や袋小路を経験しながら、自分だけの「答え」にたどり着く。そのプロセスそのものに、思考の価値はありました。

しかし、今、私の目の前にはAIという名の高速道路が敷かれています。どんな難解な問いも、数秒で最適解らしきものを提示してくれる。私はいつしか、思考の森を歩くことをやめ、常にこの高速道路を使うようになっていました。

結論へ、最短距離で

AIに問いを投げれば、すぐに答えが返ってくる。この効率性は麻薬的です。思考のプロセスで生じるはずだった苦悩や葛藤は、もはやありません。 私はただ、AIが示した結論を受け入れ、それをさも自分が考え抜いたかのように装うだけ。思考の過程で得られるはずだった深い理解や、副産物としての新たな発見の機会は、どこかに消え去ってしまいました。

「なぜ」を忘れた脳

最も恐ろしいのは、「なぜそうなるのか?」という根源的な問いを、私自身が立てなくなったことです。AIが「これが答えだ」と言えば、それが答えなのです。その結論に至る論理的な飛躍や、見落とされている可能性を、私は検証しようとすらしません。 私の脳は、複雑な思考を担うことをやめ、AIの出力を右から左へ受け流すだけの、単なる中継器になり下がっているのではないでしょうか。

最後に

効率化の果てに、私たちは思考そのものを放棄しつつあるのかもしれません。 そして、この文章でさえ、私が抱いた懸念をAIに投げかけ、生成されたテキストを少し手直ししただけだとしたら? この警鐘を鳴らす言葉の所有権は、一体誰にあるのでしょうか。

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