こんにちは、たねやつです。
AIは、信じられないほど有能なアシスタントです。複雑なコードのリファクタリング、長文メールの作成、面倒なデータ集計。私が少し苦手意識を持っていたり、時間がかかったりする作業を、文句一つ言わずに完璧にこなしてくれます。 あまりにも有能なその存在は、私を楽にしてくれると同時に、底知れない恐怖を感じさせます。それは、「自分一人では何もできなくなるのではないか」という恐怖です。
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思考の筋力低下
かつては、自力で調べて、試行錯誤して、なんとか解決していた問題がありました。そのプロセスは、私の思考の筋肉を鍛え、新たなスキルを身につけるための重要なトレーニングでした。 しかし今、私はそのトレーニングを放棄し、すべてをAIという名のパーソナルトレーナーに任せきっています。少し難しいと感じれば、すぐにAIに助けを求める。この繰り返しによって、私の思考の筋力は、確実に衰えているのを感じます。 簡単な計算、基本的な関数の仕様、ありふれた言い回し。かつては脳内にあったはずの知識が、今ではAIに聞かなければ思い出せません。
AIがいない世界の想像
もし明日、何らかの理由で世界中からAIが消え去ったら、私はまともに仕事をこなせるのでしょうか。 自力でコードのバグを修正できるだろうか。説得力のある企画書をゼロから書き上げられるだろうか。その想像は、私をひどく不安にさせます。 私たちは、AIという杖なしでは歩けない体になってしまったのかもしれません。便利さの代償として、私たちは自立して思考し、行動する能力を差し出してしまったのではないでしょうか。
最後に
依存は、緩やかに、しかし確実に私たちの能力を蝕んでいきます。 そして、この「AIへの依存」というテーマについて警鐘を鳴らすこの文章でさえ、構成案の作成から表現の洗練まで、AIの助けを借りて書かれているという事実。 この自己言及的な矛盾こそが、私たちが置かれた状況の根深さを物語っているように思えてなりません。